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常照上人(祈親上人)供養塔(祈親上人定誉廟)は、和歌山県高野山奥の院燈籠堂の西にある。
大正4年(1915)に発行された「高野のしをり」には、次のように記されている。
常照上人墓(じゃうせうしゃうにんはか)
燈籠堂の前に在り。是祈親持経上人なり。嘉元年間大和の人 曽我部助政、上人の徳を追慕して建立す。(後略)
常照上人とは、定誉のことで、正平5年(1350)4月、後村上天皇から法印大和尚位を追贈され、常照の諡號が贈られた。
定誉(957-1047)は、平安時代中期の真言宗の僧である。祈親上人、持経上人ともいう。
大和国葛城郡楠本、河井氏の出身といわれる。7歳で父を亡くし、13歳で興福寺に入り法相を学んだ。一説には京都出身、7歳で興福寺喜多院空晴の門に入ったともいう。
のち子島の真興、入寺仙救に師事し密教を学んだ。60歳の時長谷寺に詣り、夢告によって二親の浄土が高野山の都率内院であることを知り、長和5年(1016)3月高野山に入り、奥院御廟に鑚火を点じて供養した。
これは持経燈籠といわれ、現代でも奥の院燈籠堂内部に、祈親燈が灯されている。
検校 峯杲・行明(北室)、長者 仁海らと協力、明算が中院を再興して藤原道長の登山参詣を実現するなど高野山最盛期の基礎をつくった。
永承2年(1047)2月2日、釈迦門院にて91歳で寂。
(写真撮影禁止地域のため、写真はありません。)
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