岸和田城

岸和田城は、大阪府岸和田市にあった城で、城跡は大阪府の史跡に指定されている。
岸和田城は、本丸と二の丸を合わせた形が、織り機の部品「縢(ちきり)」の中央がくびれた形に似ていることから、
「縢城」又は「蟄亀利(ちきり)城」と呼ばれ、後に千亀利城という字があてられるようになった。
城は、建武年間(1334-38)楠木正成が摂津、河内、和泉三国の守護に任ぜられた際、一族の和田新兵衛高家に命じて築城させたのが起こりで、今の野田町あたりに築いた。
当時、岸と呼ばれていた土地に和田氏が城を築いたことで、「岸の和田」と呼ばれ、「岸和田」へ変化したといわれている。
その後、現在地に誰が、いつ築城したのかは不明で、戦国時代末期には、当時泉州地域を治めた松浦一族の居城となっていた。
1583年羽柴秀吉は家臣の中村一氏を岸和田城主とし、紀州の根来寺や雑賀衆と対峙し、1585年に秀吉が10万の大軍で根来寺を襲い、壊滅させた。
その後、秀吉の叔父の小出秀政が城主となり城郭が整備され、1597年に五層の天守閣も建てられた。
豊臣氏滅亡後、寛文17年(1640)に摂津高槻から岡部宣勝が入城し、明治維新まで岡部氏が13代にわたって岸和田藩5万3千石を治めた。
1827年に天守閣は落雷で焼失し、以降長く再建されなかったが、昭和29年(1954)に、鉄筋コンクリート造りで三層の天守閣が再建された。
天守閣内部は資料展示室と望楼になっており、天守南側の八陣の庭が望める。
南海電鉄南海線岸和田駅下車徒歩15分、蛸地蔵駅下車徒歩7分。西側に有料駐車場がある。



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