北畠顕家卿之墓

北畠顕家卿之墓は、大阪市阿倍野区王子町の北畠公園にある大阪府史跡である。
北畠顕家(1318-1338)は、南北朝時代の公卿、武将で、父の親房とともに後醍醐天皇に仕えた。
建武新政とともに16歳で陸奥守(むつのかみ)となり、義良(のりよし)親王を奉じて父の親房と共に奥州平定にあたった。
足利尊氏が後醍醐天皇側と対立したため、奥州から都をめざして戦ったが、建武4年(1337)和泉国石津原で戦死した。
太平記には、「暦応元年(1338)五月二十二日和泉の境阿倍野にて討死し給いければ」と書かれており、
当地で北畠顕家が、20余騎の手兵で1万8千人の高師直軍と戦い、21歳で戦死したと伝えられている。
公園内の墓石は二重台石に伏亀を置き、その上に竿石を載せたもので、享保18年(1733)京都の儒学者 並川誠所によって建立された。
JR天王寺駅からバスで北畠公園前下車すぐ。


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