小林佐兵衛紀念碑

小林佐兵衛紀念碑は、和歌山県高野山奥之院にある。
31町石の西北参道沿いに、「大阪北 小林佐兵衛銅像入口」の石柱があり、入口から約50m進んだところに小林佐兵衛翁遺蹟の供養塔がある。
小林佐兵衛(1829-1917)は、堂島の質屋「明石屋」の長男で、北の赤萬(明石屋万吉)と呼ばれた。
その後、侠客となり、知事の要請で消防の「北の大組頭取」として活躍し、小林授産場を開設して困窮者の支援などに従事した。
司馬遼太郎は、小説「侠客万助珍談」「俄・浪華遊侠伝」で小林佐兵衛をモデルに描いている。
銅像は、戦争で供出されたため現存しないが、「伝説の高野山」では、当時のイラストが描かれている。
墓碑の手前(南東)には、侠骨碑が建てられており、北東には、小林佐兵衛翁歌碑がある。
墓碑の背後(西)には、小林授産場有縁無縁供養塔、大阪各消防殉職者精霊供養塔がある。→桂小五郎潜居跡


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