金剛峯寺奥殿は、和歌山県高野町の金剛峯寺主殿西隣にある。
奥殿の建物は、昭和9年(1934)弘法大師御入定1100年御遠忌の際に建てられた。
当時の入札価格約6万円で和歌山市の建築家西本健次郎が請け負った。
建物の周囲は、日本最大の広さの石庭 蟠龍庭がある。
室内の襖絵は、建設に先立ち、昭和8年に画家石崎光瑤に揮毫を依頼した。
石崎光瑤は、大正5年に続き、再度インドを訪問し、植物や風景を写生し、カシミール渓谷最高峰コラホイ(5440m)にも登頂した。
襖絵「虹雉(こうち)」は、このようにして描かれたもので、紙本着色襖12面にヒマラヤシャクナゲの風景などが描きあげられ、
その絵画に因んで、「雪嶺の間」「瑤雞の間」「渓流の間」などの名が付けられている。
また、桜の間の障壁画は、中島千波が描いた朝方の桜の古木である。
北側の部屋には、高野山百景と題した富山護国寺住職石田俊良画伯の襖絵がある。