孝徳天皇 大阪磯長陵(山田上ノ山古墳)

孝徳天皇 大阪磯長陵(山田上ノ山古墳)は、大阪府太子町大字山田にある。
大阪磯長陵(おおさかしながのみささぎ)は、白雉5年(654)12月8日に孝徳天皇を葬った陵で、別名「うぐいすの陵」と呼ばれる。
「日本書紀」「延喜式」ともに陵号の「阪」を「坂」とする。
元禄の山陵探索の時、孝徳天皇陵と称するものは、古市にもあったが、現陵に決められた。
元治元年(1864)修復を加え、拝所などが整備された。
墳丘は直径40m、高さ7m、山腹に位置する円墳で、西南に面している。
江戸時代に地元では、「北山陵」と呼ばれた。

孝徳天皇(597?-654)は、第36代天皇で、在位は645-654年である。名は軽皇子。
皇極天皇の同母弟で、父は舒明天皇の弟の茅渟(ちぬ)王、母は欽明天皇の孫の吉備姫王。
645年6月に中大兄皇子らが蘇我蝦夷、入鹿らを滅ぼすと、皇極女帝の譲位を受けて孝徳天皇が即位し、中大兄皇子を皇太子とし、年号を大化と定め、同年末に都を難波の長柄豊碕宮(ながらとよさきのみや)に遷した。
また中大兄皇子の妹の間人(はしひと)皇女を皇后としたが、即位以前すでに妃の阿倍小足媛(おたらしひめ)との間に有馬皇子を生んでいた。
白雉4年(653)、中大兄皇子は、天皇の同意なしに、皇極上皇、間人皇后以下公卿、百官人を率いて、大和の飛鳥に戻った。
孝徳天皇は難波に残され、これを恨んで退位を考えて、京都の山崎に離宮を造らせようとしたが、完成を見ずに翌年10月に難波の宮殿で病死した。



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