興教大師覚鑁上人廟は、和歌山県岩出市の根来寺にある。
覚鑁(1095-1143)は、平安時代後期の真言宗の僧侶である。
平将門の末裔で、嘉保2年(1095)に肥前藤津荘(佐賀県鹿島市)に生まれた。
13歳で仁和寺に赴き、16歳の時に寛助僧正により出家得度を受け、覚鑁と名付けられた。
その後、醍醐寺、南砺、高野山で唯識、三論、密教を学んだ。
保安年間(1120-1124)に請われて紀伊(和歌山県)石手(いわて)の神宮寺に住み、
大治年間(1126-1131)寺号を伝法院と改め、学侶36人を置いた。
この根来山は狭隘であったので、高野山に大伝法院を建立し、
長承元年(1132)鳥羽上皇を迎えて、初めて伝法大会(でんぽうだいえ)を行った。
その後、金剛峯寺との確執で、保延6年(1140)高野山から根来寺に移り、
康治2年(1143)49歳で遷化した。