「黒田節」誕生の地は、京都市伏見区御香宮門前町大手筋通にある。
当地の説明板には、次のように記されている。
「黒田節」誕生の地
「黒田節」は「酒は飲め飲め飲むならば 日の本一のこの槍を 飲みとる程に飲むならば これぞまことの黒田武士」の歌詞が特に有名な福岡県の民謡で、酒席には欠かせぬ名歌である。
この歌詞は、福岡藩の儒学者、貝原益軒が著した「黒田家臣伝」の母里但馬伝(もりたじまでん)にも登場する逸話が元になっている。
伏見の桃山の地にあった戦国大名・福島正則の屋敷での酒宴に、黒田家の家臣・母里太兵衛が招かれた時のこと、正則は大きな鉢を杯に見立て、「これで酒を」と勧めたところ、余りの大きさに太兵衛は断った。
しかし飲めば望みの品を与えると強いたため、太兵衛は座上に架かった槍を見て、「あれをいただけるなら」と答えた。
その槍は正則が豊臣秀吉から賜った秘蔵の品、正則は酔った勢いで承知したところ、太兵衛は大杯に注がれた酒を見事に飲み干し、槍を持ち帰った。
後悔した正則は、返して欲しいと何度も使いを出したが、太兵衛はついに返さなかったという。
この名槍「日本号」は、別名「呑み取りの槍」と言われ、現在も福岡市博物館に収められている。
京都市
母里太兵衛(もりたへえ/ぼりたへえ)(1556-1615)は、筑前福岡藩士で、黒田孝高(よしたか)、長政につかえ、先手大将をつとめた。
朝鮮出兵、関が原の戦いなどに従軍し、嘉麻郡大隈城の城主となった。
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