草津みなと残念石は、京都市伏見区にある。
草津湊は桂川の湊として平安の昔から貴人が都から旅立つ湊としてだけでなく、瀬戸内海などを通じて都へと物資を運ぶための「舟運の要」として発展してきた。
寛文2年(1662)に寛文近江・若狭地震が発生し、二条城の塀や石垣が大きく破損した。(「殿中日記」)
当時の二条城は、幕府の重要施設であったことから、地震から約1カ月後に、大垣藩主 戸田氏信に修築が命じられた。
そして瀬戸内の島々や東六甲(御影、芦屋)、加茂、笠置辺りで切り出された石が、淀川水運で草津湊に運ばれて陸揚げされ、鳥羽街道を牛車により二条城に運ばれた。
当地に置かれている石は、その時から約350年の歳月を経て、平成27年(2015)8月に川底から引き上げられたものである。
これらの石は、何らかの理由で運搬途中に川底に沈んで当初の目的に使われなかったことから「草津みなと残念石」と命名された。
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