旧巽村役場跡は、大阪市生野区にある史跡である。
巽地区は、古来より河内国渋川郡に属し、古代は、豪族物部氏の所領の一部であった。
中世には、石清水八幡宮の荘園となり大地ノ荘と呼ばれていた。
江戸時代中頃からは、京都淀藩(10万2千石)稲葉丹後守の領地となり、同氏世襲して明治維新に至る。
その後、明治22年の町村制施行に際し、当時同一戸長役場の区域であった大地村、四条村、伊賀ケ村、矢柄村、西足代村の五ケ村が合併し、新しく一村が設置されることになり、従来の各村はその大字となって「巽村」ができた。
この村名は、大坂城より見て辰巳の方角に当たることから起こったと言われている。
村役場は、初め小学校と共に大地集落中に在ったが、大正七年この場所に移転された。
以来、昭和23年まで中河内郡巽村役場として、また同30年まで巽町役場として永らく地域住民に親しまれて来たが、昭和30年4月巽町が大阪市に合併されて生野区の一部となったため、町役場も間もなく廃止された。さらに後、昭和48年の町名変更により、大地、四条などの旧町名は、巽中、南などの新町名に改称された。
西隣の巽小学校北校舎2階の教室に旧巽村時代の民具や農機具、歴代村長などの写真等を展示した郷土資料館がある。
大阪市営地下鉄千日前線南巽駅下車、徒歩5分。