前田邸は、和歌山県橋本市高野口町にある前田家の店舗兼住宅として代々承継されてきた建物である。
江戸時代から薬種商を営み、大庄屋もつとめたこともある町家である。
屋号は、「辻本屋」で、これは旧大和街道と旧高野街道が交差する場所に建てられていたことに由来する。
初代 前田嘉助(1746-1815)は、薬種商で当時流行の石門心学を学び、その普及に努めた。
二代 前田文治郎(俳号・文鵲 1762-1847)は、先代の心学を継承するとともに、紀州俳諧の中興の祖とされる松尾塊亭の門人として「双松」の標号をうけたため、前田邸は「双松舎」とも呼ばれている。
六代 前田友次郎(1871-1935)は、奈良の出身で高野口郵便局長となり、地元の人々から敬愛された。
友次郎は、徳富蘇峰と親交があり、日露戦争に従軍記者として出向いた志賀重昂(しがしげたか)とも友人であった。
その縁で、日露戦争当時の乃木希典司令官が、「二〇三高地」の攻防で書いた「爾霊山」の詩が保存されている。
日曜日に内部が無料公開され、土蔵の中には、江戸・明治時代の生活を偲ばせる品々が展示され、主屋と書院も見学できる。
主屋(江戸時代)、中書院(明治時代)、新書院(大正時代)の三棟が、国の有形登録文化財に指定されている。
JR和歌山線高野口駅下車、徒歩5分。西側に見学者用の駐車スペースがある。