前畑秀子の母碑

前畑秀子の母碑は、和歌山県橋本市古佐田の橋本墓地にある。
前畑ヒデ子(通称 秀子)(1914-1995)は、日本人女性初のオリンピック金メダリストで、昭和11年(1936年)ベルリンオリンピックの200m平泳ぎで優勝した。
NHKラジオ実況中継で、「前畑がんばれ!」と23回連呼した河西三省アナウンサーの実況音声が良く知られている。
前畑秀子は、大正3年(1914年)に橋本市紀ノ川近くの豆腐屋を営む父、前畑福太郎と母、前畑ミツヱの長女として生まれた。
大正14年(1925年)には、11歳で50m平泳ぎの日本学童新記録を出し、13歳で100m平泳ぎの日本新記録を樹立するなど早くから注目されていた。
昭和4年(1929年)に愛知県の椙山女学園に編入し、昭和7年(1932年)には、ロサンゼルスオリンピック200m平泳ぎで銀メダルを獲得した。
当地の「前畑秀子の母」碑は、昭和7年に建立されたもので、碑面には次のように刻まれている。
  顕父母孝之終也
  第十四回国際オリンピック優勝記念
     前畑秀子の母
   昭和七年九月二十日
    椙山女子専門學校長 椙山正弌 建之
南海高野線及びJR和歌山線橋本駅下車、徒歩10分。北側200mの所に墓地参拝者駐車場がある。


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