史跡 マルコ山古墳は、奈良県明日香村大字地ノ窪にある。
天武・持統天皇陵(檜隈大内陵)から西南地域は、飛鳥地域でも有数の終末期古墳(7世紀後半・飛鳥時代)の集中するところで、真弓崗(まゆみのおか)とも呼ばれている。
マルコ山古墳もその中にあり、真弓丘陵の東西にのびる尾根の南斜面(標高約120m)に位置している。
昭和52年、53年および平成2年、16年に実施された発掘調査で、古墳は版築で築いた対角辺24m、見かけの高さ約5.3mの二段築成の六角形墳と考えられている。
墳丘の北側には敷石を半円形にめぐらし、その下には、礫(れき)をつめた暗渠がある。
石室は凝灰岩切石を組み合わせた石槨である。内寸法は、長さ271.9cm、幅128.5cm、高さ143.3cmで南に開口し、床を含めた内壁の全体に漆喰が塗られている。
出土遺物には漆塗木棺(乾漆棺)の破片、釘、金銅製六花形棺飾(ろっかがたかんかざり)金具、太刀金具、尾錠(びじょう)などがある。
被葬者については、不明であるが、皇族クラスの人物が考えられている。
近鉄吉野線飛鳥駅下車、徒歩15分。
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