真土山

真土山は、和歌山県橋本市にある旧跡である。
真土山は、標高約120m、葛城連峰の最南端にあり、対岸に恋野の山地が迫り、その間を紀ノ川が流れる景勝の地である。
国道24号線の南側に、万葉の道、真土山の石碑がある。
各石碑には、次のように刻されている。
(表面)
万葉の道
(裏面)
旧南海道
 まつち山ゆうごえゆけばいほ崎の
  すみた川原にひとりかもねん
 昭和四十八年十月吉日 橋本市長 向井久朋

「真土山」と彫られた石碑の側面に、拾遺和歌集820の次の歌が、三行に分けて刻まれている。
こぬ人を真土乃山の郭公(ほととぎす)おなじ心に音こそなかるれ(泣けれ)
(紀州の文学碑・一二〇選 参照)

奈良からの旅では、この真土山を越えれば、あさもよし(枕詞)紀の国であり、万葉集では八首の歌が読まれている。
紀伊国名所図会に、真土山の風景が描かれている。
中央に真土山とあり、たくさんの松と桜が描かれた小山となっている。
右に大和側の「真土峠」、「真土川」(落合川)とあり、現在の極楽寺は「薬師」となっている。
上欄には歌が書かれている。
江戸時代の国学者で、松坂の本居宣長、養子の大平の作品である。

多ひなれハ 多れ加者王を 満川ちやま ゆふこえゆきて や登者とふとも
(旅なれば 誰かは我を 真土山 夕越え行きて 宿は問うとも)
雪と見亭 釣やな川まむ 白妙尓 尓保ふ 真土の 山さくら者那
(雪とみて 釣やなつまん 白妙に におう 真土の 山さくら花)
紀州より大和国尓修行せしみぎり 両国のさ可ひ真土山尓てよミ侍(はべ)る
きのく尓の さ可ひをしらハ 真土山 よしの川登も これよりそいふ  遊行地阿

本居宣長は、享和8年(1800年)から2年間、紀州藩を訪れ、紀伊国名所図会の執筆者、伊達千広や加納諸平、紀伊続風土記の仁井田好古等に国学の講義をしている。



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