播磨明石藩主 松平忠国供養塔は、和歌山県高野山奥の院24町石北東にある。
五輪塔地輪には、次のように刻されている。
播刕明石城主前松平山城太守
源朝臣從五位下忠國公
浄源院殿前城列
(梵字) 奉為霊譽崇安
道覚大居士菩提也
施主孝子源氏松平日向守信之
建
萬治二巳亥年二月廿日
松平忠国(1597-1659)は、江戸時代前期の大名である。
慶長2年8月17日に松平信吉の長男として誕生した。幼名は忠勝、後に勘四郎と称した。
元和6年(1620)父の跡を継いで丹波篠山藩主(5万石)となり、慶安2年(1649)転封で播磨明石藩主松平(藤井)家初代として7万石を領した。
城下を整備し、新田を開発するとともに、和歌を嗜み、明石が源氏物語の舞台となったことから、光源氏の碑を作り、自作の和歌を刻ませている。
長男の信久が早逝したため、二男の信之が松平家を継いだ。
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