松平家(瀧脇 駿河小嶋)供養塔

松平家(瀧脇 駿河小嶋)供養塔は、和歌山県高野山奥の院27町石東南にある。
当地墓所のすぐ北には、上智禅尼供養塔がある。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、小型五輪塔3基があり、松平(久松家)として報告されている。

中央の松平政信(信吉)五輪塔地輪には、次のように刻されている。
武州江戸松平半丞殿
    定信御追善
    松(異体字)樹院
(梵字)爲
    光廊天心
御施主松平丹後守殿
干時明暦三年五月廿九

向かって左の一番低い五輪塔地輪には、次のように刻されている。
万治三子年
     徳授院
(梵字)
     月閑雲?□
十月廿六日

向かって右の五輪塔地輪銘文は、判読不明である。

松平政信(信吉)は、清和源氏松平家(瀧脇)の松平重信(勝信)の子である。
系図纂要第十には、次のように記されている。
政信  一(ひとつ) 二 信吉
 半之丞
 明暦三年五ノ廿九夭
 松樹院光廊天心

瀧脇松平家は、松平親忠の九男 乗清を祖とする。三河国加茂郡滝脇(愛知県豊田市滝脇町)を領したことからこの名となった。
松平重信は、正保2年(1645)に従五位丹後守に叙任され、明暦2年(1656)から駿府城代を務めた。
重信の養子となった松平信孝(のぶなり)は、元禄2年(1689)に駿河、武蔵、上野の1万石を領して大名となっている。
その後、松平信治の代に武蔵、上野の所領を駿河国に移され、駿河小嶋藩1万石は幕末まで続いた。



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