松山タケノ女史 頌徳碑 

松山タケノ女史頌徳碑は、和歌山県橋本市向副善福寺跡の織田秀信終焉の地にある石碑である。
松山タケノは、織田信長の子孫の一人で、和歌山県伊都郡助産婦会を創設した。
石碑は昭和13年に建立されたもので、碑文は、次の通り。

女史織田信長公之後裔織田宗太郎氏之長女也母
大西氏明治二年生於學文路年甫八歳父亡廿九歳
為井澤家養女後嫁他家擧一女而夫君無操行遂決
意獨身入東京市産婆學校三十年卒業在大和五條
開業後再嫁九度山松山翠氏家道背運具甞辛楚其
間創設伊都郡助産婦會自任幹事次組織伊都郡産
婆會柀推為會長本年三月縣産婆會創立五月任其
副長女史業産婆四十餘年而出其門者不尠寔可謂
郡産婆之重鎮矣本年適相當古稀仍門人相謀建立
其頌徳碑勒功績以貽後昆云
  昭和十三年十月高野山天徳院穆韶書




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