三河岡崎 本多家供養塔

三河岡崎 本多家供養塔は、和歌山県高野山奥の院31町石南東にある。
芭蕉句碑の北側(御廟側)から参道を東に約20m入ったところにある。
墓地内には下記の大型五輪塔が3基建立されている。

 写真番号  供養者名  没年  法名  備考
 中央① 三河岡崎藩第2代藩主
本多豊後守康紀
元和9年
(1623)
諦林院殿前豊刕
太守雄山道束
大居士
寛永2年(1625)9月25日に
本多伊勢守忠利が建立 
左 ② 三河岡崎藩第3代藩主
本多伊勢守忠利御子息
本多彌太良
寛永15年
(1638)
源相院殿琢寶
永太大禅定門
寛政諸家譜には
「早世」とあり 
右 ③ 三河岡崎藩第3代藩主
本多伊勢守忠利御子息
「光雲院」
寛永15年
(1638)
光雲院殿前豊州
太守登巖秀哲
 寛政諸家譜には
「12歳で死亡」

本多康紀(やすのり)(1579-1623)は、三河岡崎藩初代藩主 本多康重の長男として生まれた。
慶長16年(1611)に家督を継ぎ、大坂冬の陣、夏の陣に参加し武功を挙げたほか、岡崎城の修築や天守閣の造営を行った。
元和9年(1623)9月25日に45歳で死去し、長男の本多忠利(1600-1645)が3代藩主となった。



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