南淵請安先生の墓は、奈良県明日香村大字稲渕にある。
南淵請安(みなみぶちじょうあん/みなみぶちのしょうあん)は、7世紀前半の学問僧で、南淵漢人(あやひと)請安(青安)ともいい、南淵に居住した朝鮮渡来系の東漢氏(やまとのあやうじ)の一族である。
推古天皇16年(608)に小野妹子、高向玄理(たかむこのくろまろ)、僧旻(そうみん)らとともに遣隋使学問僧として中国にわたり、舒明天皇12年(640)に玄理らとともに新羅を経て帰国した。
33年間の中国滞在中に、随、唐の興亡、唐の隆盛を直接見聞し、この経験が帰国後に大きな影響を与えたといわれる。
中大兄皇子・藤原鎌足らは、南淵請安に「周孔の学」すなわち儒教を学んだといい、その往復の途次に蘇我入鹿、蝦夷討滅の計画をたてたという。
当地の墓は寛文2年(1662)に建てられたもので、歌碑や顕彰碑なども建立されている。
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