三栖閘門資料館は、京都市伏見区葭島金井戸町にある。
伏見周辺の治水の歴史は、豊臣秀吉が伏見に城下町を築いた時から始まる。
秀吉の指揮のもと、宇治川と巨椋池が分離され、宇治川左岸沿いに宇治堤、巨椋池上に太閤堤、大和街道などの堤防が築かれた。
明治時代に入ると、宇治川と巨椋池を分離して巨椋池を締め切るなどの改良工事が実施された。
大正6年(1917)10月には、台風豪雨による「大正大洪水」が発生し、当地一帯が被害を受けたことがきっかけとなり三栖閘門の建設が始まった。
観月橋、三栖間の宇治川右岸堤防が整備され、宇治川との通船のため閘門建設に着手し、昭和4年(1929)に三栖閘門が完成した。
二本の塔で挟まれたゲートを南北に設けて、そこで水位差を調整して船を通行させるものである。
当時は、石炭船などが年間2万隻以上通航したといわれ、京都、大阪間の輸送に重要な役割を果たした。
しかし陸上輸送の発達に伴い昭和37年(1962)に淀川船運は廃止となり、また、宇治川改修や天ケ瀬ダムの完成で宇治川の水位が低下して閘門としての役割を終えた。
その後、平成15年(2003)に旧操作室を復元改修した建物が三栖閘門資料館となり、館内では三栖閘門の成り立ちや伏見の歴史が紹介されている。
また保全整備された閘門は濠川の水が引き込まれて、京都伏見 十石舟の船着き場として利用されている。
京阪本線中書島駅下車、徒歩10分。
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