密厳院は和歌山県高野山往生院谷(蓮花谷)にある真言宗の準別格本山である。
本尊は金剛界の大日如来を祀っている。
密厳院は興教大師覚鑁上人の私坊で、大治5年(1130)の建立と言われている。
覚鑁上人は、密厳上人とも称したので、その寺名が起こった。
天承元年(1131)、覚鑁上人は鳥羽上皇の臨幸を仰いで、高野山に大伝法院を建立した。
長承元年(1132)には、鳥羽上皇臨幸のもとで、密厳院のお堂の落慶供養が行われた。
落慶と同時に紀伊国相賀荘が寺領として、鳥羽上皇から認められた。
しかし、その後高野山衆徒と覚鑁上人との確執で、保延6年(1140)密厳院は焼き討ちにあい焼失した。
上人は根来の豊福寺に退き、根来寺を建立して、後の新義真言宗の基礎を作った。
密厳院は、近世には苅萱堂を中心とした安養寺成仏院の子院となっていた。
現在の建物は、昭和6年(1931)に改築されたものである。
堂内には、興教大師覚鑁像と弘法大師空海像が祀られている。
山門脇の苅萱堂には、石堂丸にまつわる伝説が額で飾られており、山門前には石堂丸の母千里姫の墓が建てられている。
南海電鉄高野線高野山駅からバスで、苅萱堂前下車。