微雲管(みうんかん)について、川崎一洋氏は「弘法大師に親しむ」で次のように記している。
微雲管(みうんかん)
大師が入定の六日前に弟子たちに残したとされる「御遺告」の第十七条の中に、
「吾れ閉眼(へいげん)の後には必ず方(まさ)に兜率他天に往生して弥勒慈尊の御前に侍すべし。
五十六億余の後には必ず慈尊と御共に下生し、衹候して吾が先縦(せんじゅう)を問うべし。
亦(また)且(か)つ、未だ下らざる間は、微雲管より見て信否(しんぴ)を察すべし。」
という一節がある。
「私は入定の後、必ずや弥勒菩薩の住する兜率天に行き、菩薩に仕えるであろう。
釈尊入滅より五十六億七千万年後に弥勒菩薩がこの世界に降臨して説法なさる時には、
私もいっしょに下り来って、かつて自身が歩んだ跡を訪ねて衆生を救済するであろう。
それまでは微雲管から、そなたたちが懸命に修行に励んでいるか、そうでないか、見張っていよう。」
という意味の文章で、大師の入定信仰、高野山の兜率天浄土信仰の典拠となった有名なくだりである。
ここにいう「微雲管」とは、下界を覗くための穴であるとか、下界を見渡すための一種の望遠鏡であるとの説もあるが、
「管」の字は「館」に通じ、「美しい雲のたなびく館」という意味になる。→ 御遺告
高野山の清浄心院には、大師が入定の一日前に自身で彫ったとされる廿日(はつか)大師の像が祀られているが、
その背中には「微雲管」の三文字が記されているといわれる。また四国八十八ケ所の霊場の中には、大師堂に「微雲管」と書いた扁額を掲げている寺院もある。
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