宮津城跡

宮津城跡は、京都府宮津市鶴賀にある。
宮津城(愛称 鶴賀城)は天正8年(1580)に、細川藤孝(幽斎)、忠興親子により築城された。
以降20年間、細川氏はこの城を根拠地として丹後一国を支配した。
関ヶ原の戦いの際、幽斎は自らの手で城を焼き払ったが、のちに宮津に入封した京極高広により再建され、以降藩主は変遷するが、幕末までほぼ同規模の縄張りを有していた。
KTR宮津駅の場所は、かつての宮津城三の丸跡である。
西に流れる大手川を外堀に見立て、北は宮津湾に面する海城で、本丸、二の丸、三の丸を備え、本丸内には壮大な御殿が造営された。
明治4年の廃藩置県の後、城は取り壊され、現在は市街地となっているが、街中には城の痕跡が残されている。

宮津城太鼓門は、旧宮津城南西隅の枡形虎口の門といわれている。太鼓門の名の由来はこの城門の傍らに時を知らせる「太鼓櫓」があったことに由来する。
明確に時期は特定されていないが、かつての城門が現在地に移築され、現在は宮津小学校の校門となっている。

大手川の名前は、宮津城の大手門の前を流れる川であることから名づけられ、宮津城の外堀となっていた。
平成16年の水害の後、宮津城下の風情を再現するため、城の外堀として使用されていた大手川に約240mの城壁が復元され、しらかべの道が整備された。

改造大手橋碑は、明治19年(1886)の旧大手橋完成の2年後に同橋東詰めに建てられたが、昭和59年(1984)の橋の架け替えに伴い移設された。碑文には、橋建設のいきさつや賛辞が刻まれている。



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