文覚井

文覚井(もんがくゆ)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある。
京都神護寺の僧文覚が開削したという伝承のある全長約5㎞の水路で、一の井は中世農耕用水路文覚井として和歌山県史跡となっている。
水路は、宝来山神社北方の静川(現、穴吹川)から取水し、丘陵の鞍部を越えて風呂谷川に至る用水路で、人工的に水系をかえて地域を潤した。
文覚井は、南下して萩原字三分(みわけ)で、萩原へ行く水路と笠田中、笠田東に行く水路に分かれる。
萩原へ流れる水路は、宝来山神社境内の本殿裏を通っており、神社の使い水などに利用されている。
史跡文覚井の石碑は、国道480号線の北川橋東交差点南側に建てられている。

文覚は、平安時代から鎌倉時代初期の僧で、俗名は遠藤盛遠(もりとお)といった。
初め上西門院(じょうさいもんいん)に仕えたが、同僚の源渡(みなもとのわたる)の妻 袈裟(けさ)に恋慕し、誤って袈裟を殺してしまったため、出家した。
後白河法皇を敬愛し、寿永2年(1183年)法皇から紀伊国桛田荘(かせだのしょう)を寄進されたのを始め、源頼朝からも寄進を受け、神護寺の復興に努力した。
しかし、法皇や頼朝の死後は、佐渡や対馬に流されて生涯を終えた。

JR和歌山線笠田駅から徒歩20分。



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