元長慶天皇御陵墓参考地は、和歌山県九度山町にある。
九度山町の指定文化財となっている。
現地の説明板には、次のように記されている。
元長慶天皇御陵墓参考地
(九度山町指定史跡)
指定 昭和五十六年六月一日
時代 南北朝時代
正平(しょうへい)二十三年(一三六八年)後村上天皇が住吉行宮(あんぐう)でなくなられ
第一皇子寛成(ゆたなり)親王が二十六歳で践祚された。この御方が長慶天皇である。
そのころ南朝は力が弱く、天皇は一時安全なこの地に仮の住まい玉川宮(たまがわのみや)を作り移り住まわれた。
弘和(こうわ)三年(一三八三年)四十一歳で後亀山天皇に皇位を譲られた。
元中(げんちゅう)九年(一三九二年)南北の和議がなった後も長慶天皇は玉川宮で余生を送られ、応永二十一年(一四一四年)四月四日崩御された。
この時、側近者が土砂を厚くおおって一見山の頂きのようにしたという。
この吊り橋の正面の山がそれで長塚山(ちょうづかやま)(朝塚山)とよばれている。
昭和十九年に御陵が京都に造営され参考地が解除された。
南海高野線九度山駅から車で20分。吊り橋入り口から徒歩約10分。吊り橋入り口からの経路は、新陵墓探訪記を参照。
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