紫式部歌碑(円地文子書)

紫式部歌碑(円地文子書)は、福井県越前市紫式部公園内にある。
昭和61年に建立された石碑には、次のように刻されている。

 紫式部詠
身のうさは 心のうちに したひきて
いま九重に(ぞ) 思ひみだるる
  円地文子 書
(意味)
宮仕えをしていても、わが身のつらさや憂いは、いつまでも心の中についてきて
今 宮中であれこれと心が幾重にも乱れることだ。

紫式部は、夫 藤原宣孝に先立たれた後、娘 賢子を育てながら物語の創作に明け暮れていた。
やがて物語作者として知られるようになった紫式部は、一条天皇の中宮 彰子のもとに女房として召し出される。
紫式部の初出仕は、寛弘2年(1005)(一説に寛弘3年)12月29日といわれる。
この歌は、そのときに詠んだ歌で、「紫式部集」では、「初めて内裏わたりを見るに、物の哀れなれば」との詞書に続いて、この歌が収められている。
「九重に(ぞ)」は、宮中の意と、幾重にもの意をかけている。
これまでの境遇と一変した宮中の栄華のさなかに身を置いて、いくえにも思い乱れる内心の憂いを見つめた歌である。
なお、この揮毫が、円地文子氏の絶筆となったといわれている。
→ 紫式部ゆかりの地



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