武蔵岩槻大岡家墓所は、和歌山県高野山奥の院にある。
一の橋から参道分岐を南側に歩き、熊谷直実平敦盛供養塔の東側にある。
大岡越前守が建立した供養塔として「大岡越前守供養塔」とする資料もある。
大岡家は、五摂家のひとつ九条家の流れをくみ、子孫が三河国大岡郷(愛知県安城市)に移り、大岡氏を称した。
大岡忠政には、忠行、忠世、忠吉の三子があり、忠世の家系から町奉行として知られる大岡忠相(1677-1751)(大岡越前守)が生まれ、忠吉の家系から、初代武蔵岩槻藩主大岡忠光(1709-1760)を輩出している。
両者の関係は、「探検!日本の歴史」に詳しい。
大岡忠光は、享保9年(1724)将軍の世継ぎである家重の小姓になり、延享2年(1745)徳川家重が9代将軍となってからその側近として活躍し、武蔵国岩槻藩2万石の当主となった。
当地墓所は、大岡忠光をはじめとする武蔵岩槻藩(埼玉県さいたま市)の先祖代々の菩提のため、「大岡主膳」(歴代岩槻藩主が称した)が建立した。
大岡越前守は、八代将軍徳川吉宗の享保の改革を町奉行として支えた。さらに関東地方御用掛や寺社奉行も歴任し、最終的には三河国西大平藩一万石の初代藩主となっている。
南海高野線高野山駅からバスで「奥の院口」下車、徒歩5分。国道371号線沿いに参拝者用の無料駐車場がある。