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正悦山 妙行寺は、名古屋市中村区中村町木ノ下屋敷にある日蓮宗の寺院である。
古くは真言宗 正起山 本行寺と称し、その後天文年中(1532-1555)日勢上人により現在の寺名に改号した。
慶長15年(1610)、加藤清正は先祖や両親の菩提を弔うため、自らの生誕地に名古屋城築城の余材で移築再建した。
地元に人々からは「せいしょうこう(せいしょこ)(清正公)さん」と呼ばれている。
境内には、加藤清正公銅像、「加藤肥後候旧里碑」「清正公誕生之地」の石碑がある。
加藤肥後候旧里碑は、文化7年(1810)に尾張儒臣秦鼎選 丹羽盤恒子書で、常泉寺の西の八幡社境内(現、中村公園内)に建立されたが、明治3年(1870)に清正出生地の妙行寺内に移建された。
寺宝として、絹本著色加藤清正画像、紙本著色一尊四菩薩画像(共に愛知県文化財)を有している。
加藤清正(1562-1611)は、安土桃山、江戸時代初期の武将である。
幼名は夜叉丸で、元服して虎之助と呼ばれた。
永禄5年(1562)当地で生まれたといわれる。天正年間初期(1573~)に同郷出身の豊臣秀吉に仕え、数々の武功を立てた。
天正11年(1583)賤ヶ岳の戦いで活躍し、七本槍の一人に数えられている。
文禄の役(1592)では、朝鮮の王子を捕縛して、オランカ(現ロシア領)まで兵を進めた。
片鎌槍での虎狩りは有名なエピソードで知られるが、江戸時代中期に浄瑠璃、歌舞伎で作られたものである。
関ケ原の戦いで、徳川家康につき、その功で肥後国(熊本県)54万石の領主となった。

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