妙心寺は、京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の総本山である。
山号は正法山(しょうぽうざん)、本尊は釈迦如来で、日本最大の禅寺として知られている。
宗峰妙超(大燈国師)に深く帰依した花園法皇が、建武4年(1337年)に、自らの離宮萩原殿を禅寺とし、宗峰が推した関山慧玄(かんざんえげん)を開山として迎えたのが、当寺の始まりである。
室町時代には小規模で、五山十刹にも加えられず、足利義満の圧迫や応仁の乱などで一時中絶した。
その後、寛正3年(1462年)に住持となった雪江宗深が細川勝元らの援助を受けて再建した。
従来、妙心寺への入寺は、まず大徳寺への入寺を必要としたが、永正年間にこの慣例を破り、大徳寺の末寺的存在から独立し、江戸期には白隠慧鶴(はくいんえかく)ら多数の禅傑を輩出し、隆盛した。
徹底した組織運営を図り、臨済宗の主流として教団を形成したことから、俗に妙心寺の算盤面(そろばんづら)といわれた。
妙心寺の七堂伽藍配置は、禅宗としては全国随一といわれ、勅使門、放生池、三門、仏殿、法堂、寝堂、大方丈、小方丈、大庫裏が直線状に並んでいる。
法堂と浴室は、通年で拝観できる。
法堂では、かつて鐘楼にあった妙心寺鐘(国宝)を見ることが出来る。
徒然草第220段に「凡そ鐘の声は、黄鐘調なるべし。---浄金剛院の鐘の声、又黄鐘調なり。」と記され、もと浄金剛院(廃寺)にあったものである。
「戊戌年」(698年)の銘があり、在銘鐘としては、日本最古のもので、録音で黄鐘調鐘(おうじきちょうのかね)の音色を聴くことが出来る。
法堂天井には、狩野探幽法眼守信の描いた雲龍図がある。
浴室は、通称「明智風呂」と呼ばれ、明智光秀(1528-82)の叔父で塔頭大嶺院(廃寺)の密宗(みつそう)和尚が、光秀の菩提を弔うために創建したものである。
塔頭は40以上あり、一部は通年あるいは限定で公開されている。
JR山陰本線花園駅下車徒歩5分。南総門東側に、参拝者用の駐車場がある。