長薮城跡

長薮城跡は、和歌山県橋本市慶賀野、細川の標高347mの山の斜面にある山城跡である。
地元の人々は、この山を城山と呼んでおり、昭和51年(1976年)から造成が開始された新興住宅地は、1979年に城跡に因んで城山台と名付けられた。
紀伊続風土記の細川上村「長薮城址」の項に「村の西山上にあり、牲川(贄川)氏の城址なり」と記されており、在地武士の贄川義春が文明年間(1469-87)に築いた城とされている。
贄川義春の父左衛門頼俊は、楠正成に仕えたが、千早落城後は十津川に住んだ。
文明年間に十津川の野武士とともに伊都郡に入り、紀伊守護畠山氏の幕下となり、一万石を領して橋谷川流域の谷内郷といわれた13村の支配拠点とした。
東西600mの規模の山城で、三つの峰に「東の城」、「西の城」、「出城」という別郭(べつくるわ)を有していた。
橋本市郷土資料館に、約1300分の一の長薮城の模型(吉田亘氏制作)が展示されている。
現地には、道標等は設置されていないため、公的機関等の案内がある時にあわせて見学するのが良い。
三つの峰を回るのに、約1時間必要で、急な坂もあるため、登山靴や運動靴で行くのが望ましい。
南海高野線林間田園都市駅からバスで城山台センター下車、徒歩20分。


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