名古曽城館群、名倉城跡は、和歌山県橋本市高野口町にある。
橋本市名古曽は、紀ノ川の北岸の洪積台地上(標高85m)に位置している。
台地上を紀ノ川の支流、旧田原川が南北に流れて扇状地を形成している。
(名古曽城館跡 高尾城跡)
この旧田原川の東には高野山の領域型荘園である官省府荘を管理する政所一族の有力荘官、高坊氏、塙坂(はねさか)氏、小田氏らの城館跡がある。
平成7年(1995)の塙坂氏館跡の発掘で、空堀や土塁のほか、4棟の建物群、中国製青磁椀の破片が発見されている。
小字上ノ段には、名古曽城跡の石碑があり、裏面には次のとおり刻されている。
「天文年間塙坂出雲守秀信その子小右衛門久幸此処に居住す
紀伊続風土記畠山家譜 塙坂家由緒書に拠る
昭和三十九年三月 塙坂治郎五郎 建之」
(名倉城跡)
旧田原川の西の名倉には、政所一族の亀岡氏の館跡や、守護勢が駐屯した名倉城跡がある。
JR高野口駅西側周辺の小字は、「城跡(しろあと)」と呼ばれ、周辺約2万㎡が名倉城跡とみられており、
段丘下の「殿(とう)の井戸」は城の附属施設と考えられている。
「多聞院日記」によると、永禄10年(1567)、紀伊守護畠山秋高(昭高)が、根来寺の連判衆ら約3千人の兵を連れて名倉城に入城している。
JR和歌山線高野口駅下車すぐ。