七郷井

七郷井は、和歌山県紀の川北側にある農業用用水路である。
かつらぎ町にある案内板には、次のように記されている。

     七郷井(ななごうい)のご案内
大和街道沿いを西に流れる七郷井は、水田を灌漑する農業用水路です。その起源は古く、今から300年余り前の江戸時代前期までさかのぼります。
「七郷井」は、はじめ「中飯降井(なかいぶりい)」と呼ばれていました。
古文書には、寛文8年(1668)から延宝7年(1679)のころ、中飯降村に取水口をもつ用水路の存在することが記されています(七郷井堰絵図<元形>))。
寛永年間(1624~44)、紀州藩の奨励で新田開発が盛んに行われたことから、用水路の開削も飛躍的に進んだのでしょう。
別の古文書には、正徳3年(1713)に初めて「七郷井関(堰)(ななごういせき)」の文字が見られ、
妙寺・丁ノ町(ちょうのまち)・新田・大藪・大谷・新在家(現:大字蛭子(えびす))・佐野(さや)の七か村の田地を潤していたため「七郷井」と呼ばれるようになりました。
紀州藩の歴史書である「南紀徳川史」によれば、その灌漑面積の石高は3,500石でした。大和街道が開かれたころ、それに沿って七郷井も開削されたものと考えられます。
今日では当時の姿は少なくなりましたが、現在では往時を偲ぶ遺跡が残されています。
例えば、大字妙寺から大字新田にかけての水路には所々に当時の石積みの痕跡が見られるほか、大和街道沿いの集落を紀ノ川の洪水から守る堤防遺跡が幾筋も現存しています。
七郷井の取水口は、開削当時は中飯降村、その後 妙寺村上端(かみのはし)(現在の大字妙寺の東端)に移り、現在は大字中飯降の西端の小田井にあります。
七郷井は小田井よりも古い用水路であり、先人の英知と熱い志によって造られました。
そして近郷の農家代々の皆さんによって支えられ、今日まで脈々と受け継がれています。



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