南海電鉄創業者松本重太郎翁の墓

南海電鉄創業者松本重太郎翁の墓は、和歌山県高野山奥之院の中の橋西側にある。
松本重太郎(1844-1913)は、明治時代の実業家である。
弘化元年(1844)に京都府竹野郡間人(たいざ)村に生まれ、10歳で京都の商家に奉公した。
安政3年(1856)には、大阪天満の木綿商、綿谷利八の丁稚となり、仕事の余暇に街の儒家、小田奠陽(てんよう)について漢籍の勉学に励んだ。
23歳で独立し、洋品雑貨の商売で財を成し、明治11年に百三十国立銀行を設立、明治13年に頭取となった。
明治15年には、大坂紡績の操業に参画し、その初代社長を務めた。
明治18年には「阪堺鉄道」(南海電鉄の前身)を創業し、20年間にわたり社長を務めた。
九州鉄道、阪鶴、讃岐、豊川、七尾などの各私鉄の建設にも参画し、「関西の私鉄王」と呼ばれた。
明治29年に衆議院議員となった。本姓は松岡で幼名は亀蔵と呼ばれた。


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