日本最後の仇討場碑

日本最後の仇討場碑(境橋の仇討場所碑)は、大阪府阪南市山中渓にある。
安政4年(1587)、土佐藩士広井大六は、同藩士棚橋三郎に、口論の末切り捨てられた。
大六の一子岩之助は、安政5年(1858)当時江戸に申し出て、いわゆる「あだうち免許状」を与えられた。
岩之助は、加太にひそんでいた三郎を発見し、紀州藩へ改めてあだ討ちを申し出たところ、紀州藩から、
「三郎を国ばらいとし、境橋より追放するので、あだ討ちをしたければ境橋附近、和泉側にて、すべし---」
と伝えられた。
文久3年(1863)、広井岩之助は境橋の北側で三郎を待ち受けて、見事にあだ討ちを果たしたとされる。
これは、日本で許された最後のあだ討ちであると伝えられている。→ 日本最後の仇討墓所
JR阪和線山中渓駅から徒歩30分。


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