仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳)は、堺市堺区にあるわが国最大の前方後円墳である。
北側の反正陵古墳、南側の履中陵古墳(ミサンザイ古墳)を合わせて、百舌鳥耳原三陵と呼ばれ、仁徳天皇陵は正式名を百舌鳥耳原中陵(もずみみはらなかのみささぎ)という。
日本書紀によると、仁徳天皇が行幸して陵地を定め工事を始めたところ、鹿が野の中から走り出てにわかに倒れた。人々があやしんで調べると、その耳の中から百舌鳥が飛び去り、鹿の耳の中が食いさかれていたので、ここを百舌鳥耳原と名付けたと記されている。
当時は、大和朝廷の最盛期で、天皇は在世中20年の歳月をかけて築造したと伝えられている。
墳丘の全長は480m、高さ35メートル、周濠を含めた東西の長さが656m、南北の長さ793m、周囲2718mで、面積46ヘクタールは、甲子園球場12個分に相当する。
三段に築造した墳丘で、両側に造り出しをもち、周囲に三重の周濠が作られ、濠の内外にわたって塚回(つかまわり)古墳、収塚(おさめづか)古墳、長塚古墳など10基以上の陪冢(ばいちょう)がある。
中世には古墳付近は狩場として使用されかなり荒廃していた。1852年当時の堺奉行川村修就はこれを憂いて、後円部上にあった勤番所を裏門に移し、後円部200坪に石の柵を設けて陵内を整備したと伝えられる。また、1872年の風害で前方部から長持形石棺を納めた竪穴式石室が露出し、棺外に眉庇付冑(まひさしつきかぶと)、短甲、ガラス碗などが見つかったとの記録が残っている。
仁徳天皇陵古墳一帯に現存する44基の古墳は、百舌鳥古墳群と呼ばれており、東側の応神天皇陵古墳を中心とする古市古墳群とともに、百舌鳥・古市古墳群としてユネスコ世界遺産暫定リストに記載されている。
JR阪和線百舌鳥駅から徒歩5分、前方部拝所東側に有料駐車場がある。(Y.N)