旧高野京街道里石(二里道標石)

旧高野京街道里石(二里道標石)は、和歌山県九度山町の河根千石橋北詰にある。

当地の案内板には、次のように記されている。
   九度山町文化財
     旧高野京街道里石(二里道標石)
 京都と高野山を結ぶ参詣道路を東高野街道(当地方では京街道)と呼び、
平安時代末か鎌倉時代初期に開かれ高野聖の納骨や庶民の参詣道として栄えた。
また、堺から河内長野を経て高野山を結ぶ参詣道路を西高野街道と呼び、江戸時代になって堺の全盛期を迎えて盛んになった。
 この街道が、郷土の歴史を知るうえで、長く有形民俗文化財として保存する必要あるので指定した。
    平成元年二月十六日
      九度山町教育委員会

道標石には、次のように記されている。

(右面) 南無大師遍照金剛
(正面) 是ヨリ 高野山女人堂 江 二里
(左面) 安政四丁巳年九月 
        河州錦部郡 川添村 大師講中
(裏面) 発起人 河州 茱萸木村 小左衛門
                      五兵衛



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