西高野街道

西高野街道は、大阪府堺市から河内長野市で東高野街道に合流し高野山に至る参詣道である。
旧堺港(現堺市栄橋町1丁付近)を起点として、旧舳松(へのまつ)村(現堺市仁徳陵西部一帯)で竹之内街道と合流(約540m)し、仁徳陵の北で南東方向に転じて、狭山古扇状地の南側を通り、狭山池の西側を経由して河内長野に至った。
延長7里27町余で、現在の国道310号線がほぼ経路にあたる。
安政4年(1821年)に、高野山女人堂までの道標が1里(約4㎞)ごとに建てられ、現在も道標石が残っている。
狭山藩の陣屋があった現在の狭山町池尻から天王寺に通じる道を下高野街道、またその東側をほぼ並行して狭山から松原、平野を経て鶴橋、守口に至る道を中高野街道と呼んだ。
西高野街道は、瀬戸内海を舟行して堺に上陸した西国からの高野参詣客で賑わったが、明治31年(1898年)堺、河内長野間に高野鉄道(現南海高野線)が開通した後しだいに衰退した。



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