小田神社 

小田神社は、和歌山県橋本市高野口町小田にある神社である。
祭神は、饒速日命(にぎはやしのみこと)の十三世の孫である物之部建彦(武彦)命で、他に六神を祀る。
この神は、物之部尾興連公の弟神で小田連等の祖である。
醍醐天皇の延長五年(927年)に撰上された「延喜式神名帳」に、「小田神社」として記載されている式内社(紀伊国で三十一社、伊都地方では天野大社(丹生都比売神社)とともに二社)である。
また、平安時代末から鎌倉時代初期の編纂といわれる「紀伊国神名帳」には、「従五位上小田神」の名で神祇官の幣例に預かる官知神として、伊都郡内五社の中に列せられている。
その神域は四町四方(一町は109m)もあったと伝えられ、広大にして荘厳な神社であったが、数度の兵乱のため社殿や宝物を失い荒廃していた。
紀州徳川の藩祖頼宣公が天和年中(1681~1683)に旧境内本殿の跡に石の宝殿を建て「小田神社」の四文字を刻んで後世に伝えさせたと言われている。
(これが現在の御神体となっている。これによって「延喜式内社」の面目が作られ、寛政9年(1797年)江戸屋嘉平、万屋某という町人が御神燈を献納したり、高野山宝蔵院から「式内社方角案内」の額が奉納されたりしている。)
社名の「小田神社」は、地名に基づくものではなく、小田連公が大和からこの地に移り住み、その祖先である物之部建彦命を奉り祀りしことによる氏族名からつけられた名で、その建立は千四百年前と伝えられている。
江戸時代末に刊行された「紀伊名所図会」の「小田神社」の項に、次の二首が掲載されている。
 守ります 小田の御神の 恵みとも しらでやしづが をしねかるらむ (読人しらず)
 玉だれの をだの宮居は あれにけり 昔にかへす ますらをもがな (小田 牛雄)
「物之部」は、「モノノグ(兵器)」と「モノノフ(兵士)」を掌る氏族の名称で、古来から大伴氏とともに我が国の軍神として崇められてきた神である。明治維新後の小田神社は、高野口町大字小田の氏神として現在に至っている。
JR和歌山線高野口駅下車、徒歩18分。



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