鬼の雪隠 鬼の俎は、奈良県明日香村にある。
鬼の雪隠(せっちん)は、墳丘上を失った終末期古墳(7世紀後半・飛鳥時代)の横口式石槨(石室)の一部である。
本来は花崗岩の巨石を精巧に加工した底石・蓋石・扉石の3個の石を組み合わせたもので、鬼の雪隠はその蓋石にあたり、上方にある鬼の俎(底石)から横転してできた状態にある。
この周辺は霧ケ峰と呼ばれ、伝説では、鬼が住んでおり、通行人に霧を降らせ迷ったところをとらえて、「俎(まないた)」で調理し、食後に「雪隠」で用を足したといわれている。
現在は、欽明天皇陵培冢として宮内庁が管理している。
この底石と蓋石を組み合わせて横口式石槨(石室)を復元したとすると、その内法は長さ2.75m、幅1.5m、高さ1.3mとなり、その長さと幅は唐尺のほぼ9尺と5尺となる。
石槨の内法が長さ9尺、幅5尺で計画されたものとすると、大化2年(646)3月に出されたいわゆる薄葬令に規制する「夫れ王より以上の墓は、内の長さ九尺、濶(ひろ)さ五尺」の墓に該当する。
明治10年(1877)頃に俎の東方約9mの位置から、もう一つの俎が発見された。分割されて村内の邸宅の庭石になっていたが、現在は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館の前庭で展示されている。
墳丘は完全に削平されているが、地籍図の検討から本来は一つの墳丘に二つの石槨がおさめられた長方墳(東西約41m)と考えられている。
日本書紀には、建王(たけるのみこ)が亡くなった際、祖母である斉明天皇が嘆き悲しみ、「要(かなら)ず朕(わ)が陵に合せ葬れ」と遺言した記述があり、鬼ノ俎・雪隠古墳は「建王と斉明天皇の初葬墓」とする説もある。
近鉄吉野線飛鳥駅から徒歩10分。
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