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逢坂の関 逢坂山關址の碑は、滋賀県大津市大谷町にある。
日本書紀の神功皇后摂政元年3月5日条に、武内宿禰が熊王の反乱鎮圧のために出陣、当地で撃破し、「武内宿禰、精兵を出して追ふ。故、其の処を号けて逢坂と曰ふ」と記されている。
また、弘仁元年(810)平城上皇の変(薬子の変)のとき、逢坂の関は、伊勢の鈴鹿関、美濃の不破関とともに「三関(さんげん)の一つとされた。
その後も、平安京(京都)と東海道、東山道、北陸道を結ぶ交通の要衝として存続した。
当地の「逢坂山關址」の石碑は、昭和7年(1932)の国道改修工事の際に建てられたものである。
逢坂、逢坂山および逢坂の関は歌枕としても知られ、別離と出会いの場所として詠まれた。
また、「逢ふ」との掛詞として用いられて、男女の契りを連想される。
百人一首でも、次のような和歌が収録されており、当地に歌碑も建立されている。
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
(小倉百人一首 蝉丸)
名にしおはば 逢坂山の さねかずら 人にしられで くるよしもがな
(小倉百人一首 三条右大臣)
夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
(小倉百人一首 清少納言)
街道を 見知らぬ人と すれ違い 挨拶かわす 逢坂の関
(近江百人一首 彩朋)

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