八葉山蓮華寺は、滋賀県米原市にある浄土宗本山である。
阿弥陀如来と釈迦如来の二尊を本尊としている。
寺伝によると、聖徳太子の願により、憲崇(けんそう)律師の開基とされ、創建当時は法隆寺と呼ばれた。
弘安7年(1284)、一向上人が諸国を巡歴し、当地で念仏を行い、時の領主(鎌刈城主)土肥三郎元頼が帰依して伽藍を再興し、「八葉山蓮華寺」と改称した。
歴代の天皇の帰依が厚く、花園天皇から勅願寺院としての勅許を得て、寺紋として菊の紋を下賜された。
当寺は、南北朝の古戦場としても知られ、本堂右奥に北条仲時従士の墓がある。
元弘3年(1333)後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒の兵を挙げたとき、京都合戦に敗れた六波羅探題 北条仲時は鎌倉へ向かうべく中仙道を番場宿まで逃れてきた。
しかし数千の敵軍に包囲され、主従430余人が当山本堂前庭で自刃した。
時の第三代住職 同阿上人は、これを悼み、その姓名と年齢及び仮の法名を一巻の過去帳に認め、さらに供養の墓碑を建立した。
その時の紙本墨書陸波羅(ろくはら)南北過去帳は国の重要文化財に指定されており、写しは本堂東の宝物庫に展示されている。
その後、享保年間(1716-36)に、彦根藩主井伊直興が、北条仲時の墓だけを、街道西の山頂付近に移設した。
以降、この山は六波羅山と呼ばれている。
毎年6月の第1日曜日には、追討法要が行われる。
太平記巻九「両六波羅都落ちの事」「番場にて腹斬る事」では、当時の様子を詳細に描いている。
本堂前には、当寺第49世佐原窿應和尚の門弟であった歌人 斎藤茂吉の次の歌碑が建てられている。
「松風の音聞くときは古への聖のごとく我は寂しむ」
本堂裏手には、長谷川伸の名作「瞼の母」の主人公 番場の忠太郎にちなんだ忠太郎地蔵尊がある。
JR東海道線米原駅からタクシーで約10分。山門前に駐車場がある。