陸中盛岡南部家供養塔

陸中盛岡南部家供養塔は、和歌山県高野山奥の院22町石北西にある。
北海道松前家供養塔の西側を北に約30m登ったところに、Ⅼ字型に墓石が建立されている。
下記写真奥の上段には、初代南部利直を初め前期藩主の五輪塔などがあり、写真手前の下段には、7代藩主南部利視など宝暦以降の方柱墓標が建立されている。
南部家のルーツは、新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)の子孫が山梨県南西部の南部郷に定着し、南部氏を名乗ったことに始まる。
鎌倉時代に東北に進出し、奥州の岩手県北部などを支配していた。
南部信直(1546-1599)が豊臣秀吉に所領10万石を認められ、近世大名の南部家は、信直を祖として始まり、盛岡城の完成間近に亡くなったため、信直の嫡男南部利直(1576-1632)が初代盛岡城主となった。
その後、明治維新まで南部家が続いている。



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