琳賢廟は、和歌山県高野山宝城院(もと彌勒院)にある。
琳賢(りんけん)(1074-1150)は、平安時代後期の僧である。
承保元年生まれで、真言宗、華厳宗を学んだ後、高野山で良禅から灌頂を受けた。
字8あざな)は、円如で、小聖と呼ばれ、保延5年高野山検校となっている。
久安6年8月14日に77歳で死去した。
石倉重継著「高野山名所図会」(明治37年(1904)刊)によると、宝城院の由緒に次のように記されている。
開基 琳賢、字(あざな)は圓如房は、良禅検校(当山第廿五世山主なり)に従ふて両部灌頂を受け、顕密事教通ぜざる所なく、
又堂塔を興隆し、経典を繕寫(ぜんしゃ)し、興法利生其功多く保延五年(1139)検校に補す。(第廿七世山主なり)
當院の創立は其の以前に在り、久安六年(1150)寂す、全身舎利となる。(中略)
承元初年(1207) 後鳥羽上皇御幸の時、開基 琳賢の廟室に龍賀を抂(ま)げさせらる、時に琳賢滅後六十年、四壁零落して全身嚴然たり、
上皇定軀を覧(み)そなはして宣はく、何すれそ末世利生の事を遺さざるやと、時に應じて定軀の左眼脱落す、
内外映徹して光明赫然たり、上皇始め奉り、供奉の公卿嗟嘆恭敬し玉ふ。(中略)
當院に合併せる彌勒院(隣地に其舊跡あり)は亦琳賢検校の開基にして其廟あり(後略)
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