西行妻娘の墓

西行妻娘の墓は、和歌山県かつらぎ町天野にある。
西行(1118-1190)(俗名佐藤義清)は、保延6年(1140)に出家した。
西行の妻も尼となり康治元年(1142)に当地に庵を結び、読経三昧の日々を送っていた。
西行の娘も出家の志があり、京都から15歳の時に一人で天野の地にたどり着いたといわれる。
母と娘ともに仏門に入り、当地で生涯を終えた。
娘の亡くなったのは、正治元年(1199)秋彼岸といわれている。
西行堂のすぐ横に墓がある。
「撰集抄」第9冊には「西行、妻の尼に遭う事」と題した話が収められている。
出家後の西行が長谷寺に参詣した折、観音堂の前で念珠をすっている尼に歌を詠んだところ、その声に驚いた尼は「こはいかに」と声を上げたという。
尼は西行の妻で、半年ほど前に自分も出家し、娘をおばに預けて「高野のおく天野の別所」に住んでいると話したという。


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