西方院は、大阪府太子町にある浄土宗の寺院である。
当初、叡福寺の塔頭で法楽寺と呼ばれたが、天正2年(1574年)織田信長の兵火により叡福寺とともに焼失した。
寛永16年(1639年)住職 蓮誉壽性尼(れんよじゅしょうに)が再興し、寺名も南向山西方院と改めた。
寺伝によると、聖徳太子(厩戸王)の乳母三人が、太子の冥福を祈るために得度し、太子廟の前に堂を建立したのが始まりとされている。
三人の乳母は、蘇我馬子の娘月益、小野妹子の娘日益、物部守屋の娘玉姫といわれる。
得度後は、それぞれ善信、禅蔵、恵善と呼ばれ、三尼公として人々から尊崇された。
境内は、正面に本堂、右側が観音堂、左側に鐘楼堂がある。
本堂内には、聖徳太子作と伝わる阿弥陀如来坐像、三尼公の木像、南無仏太子像が安置されている。
観音堂には、十一面観音が祀られている。
境内南側の墓地には銅板葺の堂があり、その中に三尼公の墓碑が建てられている。
新西国観音霊場第8番札所となっている。
近鉄長野線貴志駅または近鉄南大阪線上ノ太子駅から、バスで「太子前」下車、徒歩3分。