出羽庄内藩主 酒井忠当供養塔は、和歌山県高野山奥の院31町石南東にある。
五輪塔地輪には、次のように刻されている。
出羽國庄内之城主酒井攝津守
忠當追善也
大乗院殿前兼攝刕
(梵字)爲四位源朝臣載譽
勇哲政運大居士神儀
施主孝子酒井左衛門尉忠治造立之
干時萬治三庚子天二月九日
(裏)
宿坊
大徳院宥長
筆者
自性院
宥專
奉行
芝田四郎右衛門
墓地石段上四隅には、五輪塔四基がある。
いずれも酒井左衛門尉が施主で、酒井忠当の没年月日 萬治三年二月九日に建立されているため、殉死者のものと考えられている。
酒井忠当(ただまさ)(1617-1660)は、出羽庄内藩主酒井忠勝の長男として生まれ、正保4年(1647)出羽庄内(鶴岡)藩主となっている。
万治3年に亡くなり、家督は長男 酒井忠義(酒井左衛門尉忠治)が継いだ。
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