三十三間堂は、京都市東山区にある蓮華王院の本堂である。蓮華王院は天台宗に属し、天台三門跡の一つである妙法院が管理している。
永暦元年(1160年)に後白河上皇がつくった院政庁「法住寺殿」の仏殿の一つであった。
法住寺殿は、南北約1km、東西約500mの広大な範囲に、政治的な施設の北殿(きたどの)や宗教的堂宇を含む南殿(みなみどの)等が造られた。
蓮華王院は、長寛二年(1164年)に平清盛が南殿に寄進したもので、南北に125mある御堂内陣の柱間が33間あることから三十三間堂と呼ばれた。
約80年後に焼失したが、後嵯峨上皇により再建され、文栄3年(1266年)に落慶した。
単層瓦葺き入母屋造りで、4度の大修理で700年以上経た建物で、国宝に指定されている。
本尊は千手観音1001体で、堂の中央に丈六坐像、左右に各500体の等身観音立像が整然と安置されている。
また堂の両端に風神・雷神像各1体(国宝)が置かれ、木造二十八部衆立像(国宝)が千体観音像の前に列立している。
これらの彫刻は、康助、運慶、湛慶らが中心となって約100年かけて制作された。
風神・雷神像は、躍動的で力強さがあふれた鎌倉彫刻の代表作で、これをモデルにした俵屋宗達の名画もよく知られている。
京都市バス「博物館三十三間堂前」下車、徒歩2分。京阪本線七条駅下車、徒歩7分。参拝者駐車場が敷地内北側にある。
「楊枝(やなぎ)のお加持」は、正式には「楊枝浄水供」と呼ばれ、浄水に柳の枝を浸してその水を信者の頭上に振りかける秘儀で、「頭痛封じ」にご利益があるといわれている。
後白河法皇が頭痛に病んだ際に、前世、頭に柳の枝が刺さったためといわれた故事に因むものである。1月15日に近い日曜日で境内は無料公開され、約2万人が群参する。
「通し矢」は、江戸時代初期に始まったもので、堂の西側の軒下を射通す競技である。堂内通路の天井には、その記録の絵馬が掲げられている。
その伝統にちなみ、楊枝のお加持と同日に弓の引き初めが催され、特に成人を迎えた女性たちの晴れ着での競技は、京都の正月の風物詩となっている。