猿岡城址は、和歌山県紀の川市の秋葉山公園にある。
当地の案内碑には、次のように記されている。
この秋葉山は、粉河寺本堂の南側にあるので、前山と呼ばれ、山上に猿棚が設けられていたので、猿岡山とも称したと記録されています。
戦国末期の天正元年(一五七三)に、粉河寺僧兵たちがこの地に山城を築き、各所に切り通し堀などを造って、寺防衛に備えたと伝えられています。
同十三年三月二十四日粉河寺一山ことごとく焼亡。同八月、羽柴秀長の家臣 藤堂高虎が、紀州四国平定の功によって、粉河近辺一万石の領主に封ぜられて入城。
文禄元年に朝鮮出兵のため粉河を去る迄の七年間在城しました。
その間粉河寺の再建に努めたり、神輿を寄進して粉河祭りを復活し、自ら随兵役を買って出る等、専ら民心の安定に努めたと言われています。
文禄以降再び城主を迎えることはありませんでしたが、明和元年(一七六四)に至って、粉河鋳物師等発起して、火伏せの神 秋葉三尺大権現社を勧請したので、以降秋葉山と呼ばれるようになりました。
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