盛林寺

大円山 盛林寺は、京都府宮津市字喜多にある曹洞宗の寺院である。
本尊は、釈迦如来。
寺伝によると、天正5年(1577)6月に上宮津城主小倉播磨守の菩提寺として宮津大久保谷に創建という。その寺地は明らかでない。
開山の趙室宗栢和尚は、越前瑞洞院(福井県武生市)四世、盛林寺に住して20年、慶長元年(1596)12月に示寂した。生前85歳当時の頂相が寺蔵されている。
小倉氏は、丹後守護一色氏の「国の奉行」の一人で、戦国時代において現在の市街地域も含む宮津谷一円の支配者であった。
織田信長の天下平定の戦の過程で、小倉、一色両氏は細川藤孝らによって滅ぼされたが、盛林寺は細川氏とも良好な関係を保っていた。
そのため、これら諸家の過去帳や位牌、細川藤孝の子で夭逝した菊童(即安梅心童子)の肖像画などの資料が残されている。
本堂背後の墓地にある明智光秀の首塚は、天正10年(1582)の山崎の合戦のあと、豊臣秀吉により本能寺に晒された光秀の首が、娘の玉(細川忠興の正室 のちの細川ガラシャ)のもとに届けられ、宝篋印塔が建立されたと伝えられている。
墓地内には、一色家の供養塔もある。
境内の「三界唯心塔婆(さんがいゆいしんとうば)」の大板碑は、趙室宗栢和尚が建立したものである。
碑面は、上部に蓮華座上の円相を刻み、その下面は中央に大きく三界唯一心と縦に書き、横に五本の界線を引いてその最上段に十三名の僧名を刻んでいる。
三界唯一心の語は、華厳経から出た語とされ、世界一切のものを心のあらわれとするところから、凡夫の汚れにみちた世界と仏の浄らかな世界を一つにみる教えといわれている。
KTR宮福線喜多駅下車、徒歩8分。参拝者用の駐車場がある。



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