関市長顕彰碑

関市長顕彰碑は、大阪市北区中之島にある。
関一大阪市長像横の顕彰碑には、次のように刻されている。

   関市長顕彰碑
 わが大阪市が戦後再建のことに力を致して一意復興の年輪を加えつつあるとき
たまたま 故市長関一博士の二十周忌に際会し 往時を追憶して敬慕の情やみがたく
ここに記念の像を建ててその偉業を顕彰し 遺徳を後世に伝える栞といたします
 博士は 大正三年七月迎えられて助役の任に就き 同十二年十一月選ばれて市長第七代の職に当り
爾後三選を重ねて 昭和十年一月関西風水害の復旧に奔走中 はからずも病を得て 六十三年の生涯を終るまで
実に二十年余の長きにわたって 謹直精苦 この大大阪を育成することに その深い学殖と博い見識とを傾け尽されたのであります
 大正から昭和の初めにかけての大阪は 第一次大戦を機縁として急速な発展をたどり 近代都市としての態勢を整うるに絶好の機会を迎えました
この時にあたって博士のような明達の士を得て 躍進する市勢に向うべきところを示すことができましたのは
市民にとってまことに仕合せであったと言わねばなりません
 博士の業績は枚挙にいとまありません 市域の拡張を断行し 都市計画を樹立して 近代都市大阪の基礎をつくりました
市民病院 市民館など社会事業の創設拡充につとめました 美術館の建設に着手し 大阪城天守閣を再建して 文化都市の面目を整えました
学区を廃止して義務教育の機会均等をはかり 商科大学を開設して市立大学制度の基礎を築きました
また 中央卸売市場を設け 築港計画を拡張し 市営バスを創めるなど およそ今日の大大阪に見る市営事業の根幹は おおむね博士の経綸に出ずるものであります
御堂筋を飾るいちょう並樹の美しさとその下を通る地下鉄の便利とを考えてみるだけでも 博士の高邁なる識見と果断な実行力とが今なお生けるが如く市民の眼前に浮かびあがってまいります
 わが大阪が今日の大をなし得たのは 長い歴史に培われた自主の精神と古い伝統に養われた実践力行の美風によるものでありますが
また市民とこれを代表する市会の博士に対する信頼が市政の運営に不動の基盤を築いたことも忘れてはなりません
大阪市民がその最も必要とする時期において学徳ともに優れた関市長を得たことは われわれの喜びとして永久に銘記すべきであろうと思います
  故大阪市長関一博士遺徳顕彰会
    建立昭和三十一年(一九五六)六月



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